【M-1グランプリ】賞レースの審査において、“客ウケ”を優先的な基準にしてしまうことのリスク

M-1グランプリ

“ウケ量”を審査基準にすることの是非

賞レースではたびたび、
このコンビは会場で一番ウケていたのに、どうして評価されないの?
という声があがることがあります。

私も応援しているコンビが賞レースで落選し、
「こんなにウケたのに…」とやきもきすることもありますが、
ただそれでも個人的には、「“ウケ量”を優先した審査は様々なリスクが存在し、妥当性に欠ける」と考えています。

「“ウケ量”を優先する審査にどんなリスクがあるのか?面白さを評価する大会なのだから、一番ウケてるコンビが優勝でいいじゃないか

今回は、“ウケ量”を基準としてしまうことのリスクについて考えていきたいと思います。

①客層による追い風

まず一つ目が、“予選の客層により、追い風を受けている可能性がある”という点。

会場の客層には特定の偏りがあり、そこでウケやすいコンビやネタが存在する、ということです。

これは賞レースに限った話ではありません。

予選会場のような“お笑いファンが集まった環境”で受け入れられやすいお笑いがあれば、

幼稚園でウケやすいお笑いもあり、女子高の文化祭でウケやすいお笑いもあると思います。

そしてここで考えたいのが、
賞レースに特定の層が集中した場合、例えば女子高生が集まった環境でイチウケを取ったお笑いが、
一番面白いネタ!文句なしの優勝!
…にしてしまっていいのか、ということです。
首を縦にする人は中々少ないかと思います。

・“ウケてはいるけど、ネタの内容で判断した方がいい
・“この環境だからこそウケてるけど、無作為にお客さんを選んだ環境ならそうでもないネタなのでは

という声は必ず上がると思います。

まあネタの内容も良かったから、優勝は妥当だな”ということにならないかぎり、
少なくともウケだけで皆が納得することはないでしょう。

その大会が“JKウケ-1グランプリ”であれば一考の余地があるのでしょうが、
そうでないのであれば「さすがに客ウケ以外も検討してよ審査員」という声が上がるのは妥当でしょう。
そしてこれに近いことが賞レースの審査でも言えると思います。

女子高生はお笑いに詳しくない場合があるが、お笑いファンはお笑いに精通している。同列視すべきではない」という意見もあるかもしれません。

ただ、例えば私はお笑いファンですが、私が
お笑いファンの私と、私のお笑い友達全員が笑ったのだからこのコンビが文句なしの優勝でいいよね!」と主張して、納得する人は少ないと思います。

“あなたは一体何様なの?あなたの友達が笑ったから何?”
“偉そうに審査するなよ”
という声すら聞こえてきそうです。

そんな声があがるのもやむを得ません。
私は実績のない素人であり、また審査には好みも出てくる
おそらく私が好きな芸人さんや、好きな芸風の場合、
どんなに意識しても知らず知らずのうちにプラスのフィルターをかけてしまうことがあるかもしれません
その日の気分に左右されることさえあると思います。
(嬉しいことがあった日は、そこまで好きじゃないタイプのネタでさえたくさん笑う気がします)

ここでわかるのはつまり

お笑いファンだからといって、お笑いを見る目が保証されているわけではない

ということ。

M-1を(誇張抜きに)ビデオが擦り切れたほど見て、生のお笑いを見に行って、お笑い好きが高じてついにはNSCに願書を出して通った経験があり、ネタを作ってお客さんにみてもらっていた私も、ひとりの人間でしかない

「重度のお笑い好きであり色々なネタを見てきた私が笑ったのだから、通らないとおかしい」と思ったことは一度もありません。

…とはいえ、そこに全く価値がないわけでもありません。
お笑いに詳しくない人と比べれば、私の審査の方が的確な場合は多くなるでしょう。

大切なのは“お笑いファンの集まる客層を、そしてそこで生み出されたウケを、過大評価も過小評価もしない”ことだと思います。
そしてあくまで一番大事に見るべきは“お笑い”そのものということ。

また、ディープなお笑いファンが集う環境では、
例えば地上波では引かれてしまうようなネタでも、賞レースの予選ではむしろ笑いを起こしているようなケースも見られます。

あるいは、お笑いファンからの好感度が高いコンビや、熱狂的なファンを多く抱えるコンビはやはり暖かく出迎えられる傾向にあります。

つまりその環境ならではの追い風となるケースがあるわけですね。
ただ、個人的にはそれ自体がまずいこととは思いません。
それだけの人気を勝ち取ってきたのはその芸人さんの努力や才能であり、諦めずに戦い抜いたからこそ得られた信頼と実績の表れです。
環境に合わせてディープなネタを披露するのも、そのコンビの戦い方です。決して否定される謂れはないでしょう。

しかし、“JK-1グランプリ”の例でも触れた通りこうして追い風を受けて増幅したウケは、
やはり“追い風に乗った分”として、ある程度適正な形に整理して評価すべきとも思います。

②テンポ系漫才が有利になり過ぎる

一つ目が長くなりました、“ウケ量”を優先する審査のリスクの二つ目は
テンポで笑いを取るネタが明確に有利になり過ぎる”という点です。

ここは復活前のM-1後期にも話題となっていた部分ですね。
ウケ量が正義なら、高速漫才で挑むのが正解なのでは?”という点。
司会の今田耕司さんや、審査員の方も
「手数をたくさん入れる」形が定石であり、
「後半尻上がりにウケていく」形が理想である、いう話はされていました。

これ自体にも賛否はありますが、
回を重ねるごとに研究され洗練され、ある程度お決まりの型が出てくるのは自然な流れだと個人的には思います。

ただ、“ウケ量最優先”審査にしてしまうと、この傾向があまりにも強くなってしまうのは想像に難くありません。

決勝や準決勝に残るネタも、機械的に高速化した漫才が大半を占め、
その中での細かい差別化を競う大会になる…というのが想像できる流れです。

ウケ量優先ということになると“テンポによる反射的な笑いの取り方”がその比重を増してくることでしょう。

「誰よりも面白い漫才」ではなく「誰よりもウケを取れる漫才」がテーマの大会であれば、それが妥当かもしれませんが。

ホラー映画を例にあげると、大きな音&唐突な霊のアップでびっくりさせ続けてくるような作品の場合。

お客さんは沢山の悲鳴やリアクションをあげるでしょうが、

じゃあそれを理由に「これこそが一番怖いホラー映画だ」と決めつけられると

“怖かったし、確かにリアクションも沢山したけど、それは驚かされた反射によるもので、本当に怖いと感じた作品はもっと他にある”と、私の場合は答えると思います。

リアクションの頻度や大きさと、内心は必ずしも比例しない。

“びっくり-1グランプリ”だったらその審査は妥当だとは思います。

なお、高速漫才を批判しているわけではありません。特定の漫才以外のネタが不利になり過ぎる事態と、それによる漫才の縮小を懸念している、ということです。

③お客さんの意識

“ウケ量”を優先する審査のリスクの三つ目は、
お客さんが今よりもウケを意識して立ち回るようになる可能性がある、ということです。

現在でも
「自分の笑いが評価に繋がるかもしれないんだ、緊張するなぁ」
「このコンビは応援している芸人さんだから、出来るだけ笑ってあげたい…」
という声は聞かれます。

しかし“ウケ量を最優先に審査します”という話になった場合、(それが仮に公表されなくても回を重ねるごとにその事実は予選のレポなどにより露呈していくため)
お客さんも“ウケが合格に直結するんだ”ということをより意識するようになります。

その結果、
「自分の笑いが評価に繋がるかもしれないんだ、緊張するなぁ」
「このコンビは応援している芸人さんだから、出来るだけ笑ってあげたい…」
といった意識が、更にエスカレートする可能性は十分考慮しなければなりません。

お客さんが意識し過ぎるあまり、

過剰に笑ったり、あるいは反対に意識しすぎて笑えなかったり、といった事態にも繋がります。

④そもそも“ウケ”が審査基準として不安定

“ウケ量”を優先する審査のリスクの四つ目は、
そもそも“ウケ”というものが審査基準としてあまりにも不安定な要素である点。

例えば、

9割の人が笑っているけどウケ自体はそこそこ…」なネタと、
6割の人だけが笑っていて、しかしその6割の人は爆笑している」ネタ、
仮にウケ量で審査する場合あなたならどちらを通しますか?

より多くの人から笑いを取っているコンビの方?
より深く笑いを取っているコンビの方?
あるいは同じくらいの実力と評価すべきか?

割れると思います。
そして長い賞レースでは、これに近いケースが頻発する
結果が出た時、視聴者は「いやいや、こっちの方がウケてたでしょ」とその審査に納得できない。なぜなら評価の視点は人それぞれだから。
そしてこれに頭を悩ませる審査員にかかる負担も大きい。

そして、そんな“ウケ量”という極めて曖昧な指標だけで“日本一面白い漫才”を決めて欲しくはない

審査において、検討する要素としては“ウケ量”は重要だと思います。

ただ、“ウケているから”という理由で高評価を確定させてしまうのは本当に危険。

あるいは、より深い指摘もあがる可能性があります。

・“笑い声をたくさん出して笑う人”を優先して評価に含めることになるのではないのか?
・“笑い声のボリュームが大きい人”を優先して評価に含めることになるのではないのか?
・緊張や恥ずかしさで笑い声が大きく出せない人や、元々笑い声のボリュームが小さい人も当然いるわけで、その人たちの笑い声は過小評価していいのか?

色々な声が上がってくると思います。
(まあこの辺りの指摘に対しては、運営側は「そういうルールの大会なので」と割り切って説明してしまって良いとも思いますが)

⑤予選と決勝の客層の違い

“ウケ量”を優先する審査のリスクの五つ目は、
予選の客層と決勝戦の客層の違いです。
予選でウケを取っても決勝の客層にハマるとは限らない、
それほど予選と決勝の客層の違いは顕著です。

ディープなファンに刺さるネタでウケを取ったとしても、
「その他の客層を相手にした時の実力が確かでない」と判断される可能性があります。

予選の客層だからこそウケが○割増になっているケースもあります。
予選でイチウケ、決勝では下位に沈む…という例もあり、“ウケ”だけを指標にすることの危険性が存在します。

一方で、予選ではディープなネタを披露したものの、決勝ではその年の予選で披露したものとは違うネタをかける可能性もあるわけで

よほどディープなネタでも無い限りは、“ネタ”そのものが一定の面白さを持っていると思ったのなら、準々決勝あたりまでは様子を見て通してあげて欲しいな、とも思います。

準々決勝→準決勝は、準決勝に進出した時点で決勝戦or敗者復活戦での出番という、地上波の生放送が確定している枠になるので、
危ういネタしかしていない組は落とされるのもやむを得ないかもしれませんが。

⑥“ウケ量”優先の審査をM-1でやる意義は薄い

そして“ウケ量”を優先する審査のリスクの六つ目…というか、「その審査形態にしなくていいのでは」という理由は、
もう既にそれをテーマにしたお笑いコンテストがあるためです。
お客さんの笑い声や拍手を数値化し、その大きさ・量により結果を算出するという。

「その仕組みを参考にしてはいけない!」と言いたいわけではありません。
どちらが良い・悪いではなく、
しかしM-1の目指す“一番面白い漫才”という定義には、
“ウケ量”を最優先にした審査は適当ではない…ということです。
適当ではない理由は、これまでにあげてきた6つの事情ですね。

最後に

かなり長くなりました。
ウケは大事ですし、軽視すべきではありません。とはいえ、ウケだけを理由に「一番面白い」とするのも適当ではありません、
もし“一番面白い”を決めたいのなら。

…という記事でした。

笑いを取ることが芸人にとっての一番の目的であり、ウケることが正義であり正解…ということはよく芸人さん自身が言っていることです。

そしてそのために必要なのが「面白さ」。

つまり芸人にとって、最大の目的がお客さんの笑いで、そのための手段や能力として面白いネタを求めているわけですね。

一方で、M-1における目的は「とにかく面白い漫才」の披露、そしてそれを証明するためにお客さんの笑いを求めている、という状況。

この微妙に違うような重なっているような…シンプルですが奥が深いと思います。

さて、審査基準は毎年細かく変わっている可能性もありますが、
今後の動向に注目したいと思います。
それでは。

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