SNSにて、匿名アカウントが審査員に関して色々な意見を投稿していたので、この機会に私見を述べていきます。
こんにちは、匿名アカウントです。
匿名アカウントの意見は、上記の吹き出し形式で記載します。
では、開始
M-1の審査員、コメントに「(年齢・世代のせいで)あまりよく分からなかった」がないだけで本当にストレスがなくて嬉しい
例えば、あるコンビが高齢者にのみウケるネタをやって、それに対して若い審査員が「(年齢・世代のせいで)あまりよく分からなかった」と言うことはおかしいでしょうか?
私はおかしくないと思います。
今回のM-1ですごく良かったのは審査員の若返りをしたことと、
紳助とか松本みたいにこいつに倣えみたいな絶対的な存在がいなくなったこと
審査員の若返りや絶対的な存在がいなくなったことが、具体的にどういうプラスに繋がっているのかがよくわからないな、と思いました。
個人的には、年代はばらばらで絶対的な存在もいればそうでない存在もいる状態が理想的だと考えます。
また、「こいつに倣え」〜の辺りもよくわかりませんでした。
過去の審査を見ても、他の審査員が「こいつに倣え」と思って審査していた感じはしません。紳助氏や松本氏が「面白い」と公言した組とは異なる組を高評価したり投票した審査員はいくらでもいます。
紳助さんが怖かったというのは同意します。
真空ジェシカに必要なの、審査員の世代にも通るような全世代向けチューンナップではなく、
審査員の方の刷新だったんだなあ……となる高得点
審査員の刷新に関係なく、
真空ジェシカ側が2022→2023→2024で毎年わかりやすくチューンナップしているように私は見えました。
今年のM-1審査員に文句言ってる人、ナンチャンと宮迫がいた2010年はどう思いますか
ナンチャンはちょくちょく審査員で起用されていたので特に批判はありませんでしたが、
宮迫氏と大竹氏の審査員起用は当時のお笑い板でも色々な声があがっていた記憶があります。
ほぼ全体の順位通りの点数を付けた○○という審査員は凄い。
プロ九人がそれぞれの審査軸を持っていて、それらを均して審査を妥当化することが、複数の審査員を置くことの目的ですし、
順位通りの審査であろうとなかろうと、そこに価値の高低は無いと思います。
ちなみに、とある芸人さんが賞レースで審査員を務める際に、
「自分は審査員に向いている。自分のつけた点数が、実際の順位に近かったから」
「過去のDVDを見て、審査の練習をしてきた。全体の順位に近くなるように」
とおっしゃっていて、それが一部お笑いファンの間で叩かれた記憶があります。
審査員の役割は「その人の審査基準で審査をすること」であり、「他六人の審査員の平均値に寄せにいくこと」ではないからです。
自分の審査基準をもとに審査を行い、結果的に全体の順位通りになったのならともかく、
「全体の順位通りの審査を目指そう」と思って審査をするなら本当に必要性のない審査員だと思います。
仮に、見事に全体の順位通りの点数を出せたとしても、
他の審査員六人の平均を出すための審査をするなら、ハナからその人を省いて他六人だけを見ます。
その人でなくてもいいから、審査員としての存在意義もない。
というかなんなら、その人を省いても審査に影響は全く無いことになります。残りの六人だけで審査を続行してもなんら支障がない。
そもそも、審査員個人が審査員全体の平均値を目指す意義もない。
審査員全体の平均値は「合計得点」に勝手に表れるので、審査員一人一人は自分の基準で審査をすべき。
そもそも「全体の順位通りの審査」を目指すという行為は、ネタの分析をしているというよりは、他六人の審査員の分析をしているようなもの。
目の前のネタを第一に見てくれ。
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