【M-1グランプリ2024】個人的に抱く、審査員に関する懸念 #M1グランプリ

M-1グランプリ

前回は今回決定した審査員に関する傾向を分析したので、今回は個人的な懸念点を述べていきます。

属性の偏り

今回の選定は芸歴や属性に偏りが見られる。
代表的なもので言えば、ほぼ全員がM-1決勝経験者である、という点。
(というか、この点を尊重して選定されたのだろうけど)

個人的に、歴代で色々な意味で一番バランスが良いなと思っていたのが「上沼・松本・礼二・塙・富澤・志らく・巨人」時代。つまりは2018〜2021の四年間。

「審査員の中に、M-1決勝経験者もいれば、M-1出場経験のない関西の大御所や、関東の落語家もいる」という点が、
M-1を内輪の大会にし過ぎず、M-1に疎い人間にも通用する権威性を与えていたと思います。色んな層の意見が集まっていた

例えば私は上沼さんの審査に共感する回数はかなり少なかったけど、でもあの人が居ることで取れたバランスは確実に存在するとは思っている。単に私が、あの人の審査のターゲット層じゃなかっただけで。

大御所枠・カリスマ枠の審査員がもうちょっと欲しかった

大御所枠・カリスマ枠の審査員がもうちょっと欲しかった。

「この人は理論や常識に則った審査をするから、いて欲しい」という現役&計算型の審査員が今回多い一方で、

「この人の審査を見たい」「この人に認められたい」と思わせるカリスマ型or大御所の審査員がもうちょっと居ても良かった。

例えば松本さんや、上沼さんに対して、「この人は妥当な審査をするから、審査員になって欲しい」という声は恐らくそんなに無いと思う。
この人の審査を見たい!この人がこのネタを見て、どう感じるかを知りたい!だから審査員をして欲しい!」という声の方が圧倒的に多い。

これは、松本さんや上沼さんが凄まじい実績を持っているから……
というだけではなく、上述した通り「M-1過ぎない感性」を持っている人間であるから、という理由もあると思う。

M-1過ぎないから、ネタを見た時の評価が読めない。
M-1過ぎないから、普段漫才に接しない人間の代弁者にもなれる。
そしてM-1過ぎないから、そんな人が認める漫才には、M-1だけに留まらない価値があるんだ、という説得力にもなる。

審査の懸念

複数人の審査員を置く意義の一つは多角的な視点をまとめて均すことだと思うのだけど、
均す必要があんまり無いくらい審査内容が被りそうな感じはある。

また、審査コメントに関しても気になる点はある。
松本さん、上沼さん、オール巨人さん、立川志らくさんの四人は
後半盛り上がったから点数を上げた」や
よくウケていたから〜」や
構成が綺麗だったから〜」や
最後にもう一展開あれば〜」などの賞レース全般に使えるような抽象的なコメントがほとんど無く、芯を食ったコメントが多かった。

今回の審査員にも、技術や客ウケだけでなく審査員自身の感性にも寄り添った審査を期待したい。

緊張感

「必須」とまでは言わないけれど、場に緊張感を持たせる大御所枠やカリスマ枠は要ると思う。
特に生放送は、そうした「不安要素」も見どころの一つ。
恐らく上沼さんや松本さんは自分がそういう「緊張感を持たせる存在」であると自覚した上で、緊張感を与える発言を意識的にしていたはず。
理由としては、権威ある場として引き締めるため、M-1の注目度を上げるため、一つのコンテンツとして成立させるため、など色々あると思います。

主役は出場芸人、ということは理解した上で、
出場芸人におんぶに抱っこはアカン。審査員だけでも一つの番組として成立させるくらいの気概を見せんと」くらいのつもりで、この仕事に臨んでいた筈。

改めて、出場芸人が主役ということは大前提として、
「この審査員が居るから、見ようかな」と思わせるほどの立ち回りをする審査員が誕生することを祈ります。

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